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私は色気がある女性が好きです。


M女性に色気があれば、それだけで調教が華やかになります。

(逆に女性も、色気がある男性を好むのではないでしょうか)



「躾け」のひとつに奴隷の色気を増やす、ということがありますから、

それについて、少し考えてみました。





さて、色気とは英語にすればセクシーですから、性的魅力のことを意味します。

セクシーと言って、ぱっと思い浮かぶものでいえば、

胸が大きくて、腰がくびれていて、身体のラインを強調した服を纏って、

という外見的な身体を想像してしまうでしょう。



しかし、女性の色気とは必ずしもそれだけではないと感じます。

たとえば調教前の何とも言えないM女性の表情は、

期待と不安と身体の火照りから、なんとも言えない色気があります。

羞恥の中で恥ずかしい自分の気持ちを言うときの表情や、仕草。

微笑む表情。

それらは、特に自分で意識していなくとも、心の中から溢れ出てくるような色気です。



心の中から溢れ出てくる・。



これはシンプルに言い換えれば、感情表現のひとつだと思います。



「私はセクシーとはほど遠い身体・顔だから、無理」と思い込んでしまうことは損です。

たとえば「私は雰囲気が幼いから色気は無理だ」と決めつけてしまうことも同様ですね。



SMには羞恥責めや、緊縛など、かなり恥ずかしい行為をすることになります。

これが色気を増す原因のひとつなのは、事実です。

しかし、そういった、SM的行為、強い快楽のある行為だけで必ず色気が出てくるとは限りません。



それよりも、自分の感情表現を素直にすることを考えて見てください。

特に性的な行為に対する感情です。

もちろん、貴女の主人の前だけで。


意外とそれを意識する女性は少ないと感じます。

なぜなら、どうしても隠してしまいますよね。

恥ずかしいですし、はしたない。

淫乱な女性に思われたくない・。

女性によっては、自分の気持ちを隠して、別の感情表現を使ってしまうことさえあります。

(それが透けて見えるのは、それはそれで好きですが・)



そうではなく、貴女が、溢れんばかりの性的感情表現を持った上で、主人と接する。

具体的には、なるべく表現するよう考えてみる。

特に主人に対する性的感情表現をポジティブに捉えていれば、

仮に恥ずかしくて表現しきれなかったとしても、

その時、そこには色気が漂っているでしょう。


それは自分が意図して出すものではないです。

滲み出てくるものです。


単純に露出度の高い服装では得られない、

滲み出る仕草だったり、言葉遣いだったり、表情に表れてきます。

そういう色気のような「曖昧なもの」を躾けること。私は好きです。

そういうM女性は、美しいと感じます。

よいですね。









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前回からのつづきです。



結愛には調教で、殻(カラ)を壊し、塊(カタマリ)を晒す必要があった。

しかし、結愛に殻(カラ)で自分の心を守る人生を歩んできた。

そうせざるを得なかった。


長年自分を守ってきた殻。

自分を大切に大切に守ってきた殻。


調教で、それを無くされるのは、今までの結愛の生き方を否定するようなものだった。

それは怖ろしいことだったに違いない・。


だから結愛は、

塊を守るため、殻を壊されないよう、わたしの意図しない反応を示した。



M女性に殻(カラ)がある場合、

それには様々な反応の種類がある。
(結愛以外の例は、このブログの過去記事にも記してあります)


だが、何れの場合も、根本にひとつ、共通点があるような気がする。


それは「自分の事しか考えていない傾向がある」ということだ。

「ご主人様の事を一番として考え、お仕えしたいです」と心から思っているのに、

本当の関心事は「自分」にある。


「ご主人様の事を愛しています」と思っていても、

それでもなお、「自分の事しか考えていない」状態に近い。


自分の塊(カタマリ)を殻(カラ)で守る事とは、

視線が自分を向いているからだ。


たとえば、

「〜したらどうしよう」と不安になり、その自分の不安を元に行動する。

自分への自信がないから、失敗することを恐れながら、なるべくそこから逃げて行動する。

〜すると嫌われるかもしれないから、嫌われないように行動する。

それらの行動は、私がどう感じているのか、どういう気持ちなのかを全く考えていない次元のものとなってしまう。

自分の事を考えた結果の行動だ。

そのため、命令が実行される率も低いものとなる。自分をガードしてしまうのだから・。




こういう場合、Sは、どうすればいいのだろうか。

呆れて、奴隷を見捨てる?

優しく愛情をもって接する?

それとも「〜しろ!」と強制的に命令に従わせるのが良いのだろうか?





私が結愛に躾けたのは、次のような内容だった。


人間が生きていく上で、不幸なこと。

自分のためだけに生きることほど、空しいものはない。苦しいものはない。



今の結愛は、殻を使って、他人ではなく自分の事を考えている状態だ。

結愛は、いままでずっと、自分を正してくれる、絶対的な強い存在を求めてきた。

そして主人のために仕えたいと思っている。

言い換えればそれは、他者のために生きるという選択だ。

それを本能的に知っているからこそ、主従を求めたのではないのか。




だから、その調教によって

結愛が、殻を壊される痛みに耐えつつ、

真実の自分に気がつくことになれば、

殻を必要としない生き方のよろこびが分かる。

ちっぽけな小さな塊(カタマリ)を殻(カラ)で必死にガードする事よりも、

主人に従う喜びを体感することになる。

ただし、そこには、奴隷のある種、決意が必要となる。



結愛は結果的に、その決意を実行することができた。

そして躾けた内容について、本質的に理解を示すことができるようになった。


もちろん、かなり苦しんでこれを克服する必要があったし、

また、すぐにはできなかった。


だが理解し体得することで、結愛は「仕える」という幸せを徐々に感じたのだろう。

殻を殆ど捨てて自分の塊(カタマリ)を開放させ、

心を晒し、

今までの人生で味わってきた息苦しさから開放された。


人生において、セックスでイクことがなかった結愛が、それを経験したのは、その頃の話しだ。

心が解放されれば、身体もついてくるのだろうか。

もちろん、逆の場合も多いだろう。

しかし結愛の場合、殻がなくなることで、元々あった、さまざまな変態的欲求が開花することとなる。
















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餌の時間。

陶器製の平皿に、餌を盛りつけた。

贅沢にも、市販品をそのまま開けて。

餌は本来、私の食べ残しが適切なのだが、あいにくその日は食事を済ませていた。

木材の床の上に、コトリと餌を盛った皿を置いてやると、

四つん這いの奴隷は、

嬉しいのか、頭がよく回っていないのか、恍惚としているのか、判別しずらい表情をしていた。

リードに繋がれた首輪。そして瞳の焦点が定まっていない。




「お腹空いただろう、食べなさい」

奴隷は、礼儀正しくきちんと返事をして、

裸で私の足元にある皿に顔を近づけた。

餌を与えると、頭の姿勢が低くなり、

四つん這いの奴隷は、自然と脚を開き、尻を突き出すような格好で食すことになる。

だが、私の足元に皿はあったから、横向きの状態だった。

淫靡な身体を柔らかくしならせ、肩胛骨だけを動かして、餌を食べ始める奴隷。

背中から尻に至るラインが女性らしく美しい。




咀嚼する音は、それほど聞こえない。

しばらく眺めて、もっと豚らしく下品に食しなさい、と命じようと一瞬思ったが、やめる。

気分を変えて、私の座っている椅子から遠い場所に、わざわざ皿を移動させる。




突然皿を取り上げられた奴隷は、不意打ちを食らう。

一瞬どうしたらいいのか分からない、といった顔をした。

私が顎で指し示すと、無心にそこに向かって四つん這いで歩いた。

そこには躊躇いはなかった。



私の座る椅子から正面で、丁度、人1人分離れた場所に皿はあるから、自然と、奴隷は、私に尻を向けた形になる。

お尻を向けているから、表情はうかがい知れないが、さきほどまでの鞭の痕が生々しく見えた。



奴隷は、ふただび餌を口にしようとする。

意地悪く、

私は後ろから、尻を足先で小突いて遊ぶ。

足の親指を使って、もてあそんでやると、

声が聞こえた。

餌と尻・・どちらにも集中できずに困惑しているのか。

本来、ありえない組み合わせが奴隷のこころを乱す。性と食。



私の親指に蜜がついた。

奴隷は食後のデザートと称して、それを舐めることになかもしれない。

足指を汚してしまい申し訳ございません、と言って。





「ごちそうさまでした」

こちらを向いた奴隷が言った。






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結愛の心を覗く。



すると、そこには怯えて萎縮しきった塊(カタマリ)がある。



長年の垢が凝固したような白い塊(カタマリ)だ。

時間をかけて形成されたそれは、小さい。

私が触ると簡単に粉々になりそうなくらい。



ちっぽけな塊。

鍛え上げられたものではない。

どちらかというと、守って、保護して、傷つかないようにしてきたように見える、心の中の塊。



結愛のように、ちっぽけな塊が心にある場合、

困難な状況や、できない事に対して、簡単に「自分にはできない」と決めつけてしまう傾向にある。

そして、塊(カタマリ)守ろうとする気持ちが強い。

守りにエネルギーを使うため、生きていくのが苦しい、いう感情に支配されている。



逆に

この塊を自ら鍛え上げてきた人間は強く、多少の事ではめげない。

失敗や自信喪失があったとしても、這い上がってくるだけの力がある。

守らなくてよいために、生きづらいとは感じていない。

自分の感情に支配されていない。




目の前にいる、結愛は、私の奴隷になりたいと言った。

自分には支配され、厳しい調教と躾けが必要なのだと言う。

切望している、とも。

長い時間をかけて考えた事だという。



私は言った。

調教するには、その塊(カタマリ)自体を晒し出す必要がある、と。

結愛は、それでもいい、と言った。

そして、覚悟はできています、と続けた。



そこで、私は子細に塊(カタマリ)を観た。

結愛の塊(カタマリ)は、とても小さかったので、

それを守るために、

やはり強固な殻(カラ)があった。



クルミのような、固い固い殻だ。鎧と言ってもいい。

他者に簡単には壊されないように、

または他者に触れられぬように、

柔らかい塊(カタマリ)を保護するために、殻(カラ)を作ってきたのだ。長い時間をかけて。

傷つきそうになると、殻(カラ)で守る。



生きていくには、塊(カタマリ)自体を鍛え上げなくてはならないのに、
殻(カラ)を作ってそれを守って生きてきてきた女。

それが結愛だった。




私は、再び言う。

殻の中身をさらけ出して調教しないと、私は愉しめない、

殻の中身を所有したいのだ、と。

女はそれでも良い、そうしたいと、

好きにしていただきたい、と必死で答えた。



調教で殻(カラ)を壊すのは簡単だ。

本当にそれでも良いのか、と、問う。

結愛は頷く。





そこで私は、いつものように、殻の一部を壊し、

そして、中の柔らかい塊を晒し、調教を始めた。



すこし調教を進めると、

女は、毎回のように殻を壊される命令に悲鳴を上げる。

初めの熱意はどこかに隠れ、女はこそこそと必死で、言い訳を口にしながら、殻を修復させようとする。

自分の感情にしがみつく。



女は言う、私にも色々な事情があるので、殻をたくさん壊すことは難しい、と。

今までの自分が自分でなくなると。



私は呆れる。

言い訳を聞きながら、私は何とも言えぬ感情になる。



確かにそうだろう。

長年、殻(カラ)で守って生きてきたのだから。それは苦痛かもしれぬ。

必死で守るから、小さくて脆い塊(カタマリ)。

いつになったら、殻(カラ)がいらない状態になるのだろうか。



だが、女は本能的に知っているのだ。

自分には殻(カラ)なしで生きていく力。強い塊(カタマリ)が必要なことを。

そして絶対服従という身分でこそ、自分に必要なものが得られることを。



そして私も知っていた。

殻(カラ)は、何も女自ら望んで作ったわけではなく、

そうせざるをえない、事情があった。



塊(カタマリ)を晒せない奴隷は、奴隷にしない。

私の愉しみは少なく、主従とはほど遠い。

だが、それでも、塊(カタマリ)を晒すと誓った女の、その言葉を信じたくなるときがある。






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女を一人がけのソファの前に立たせる。

黒い革張りのどっしりとしたソファだ。
座面に奥行きがあり、幅広の腕置きがある。


座るよう命ずると、
女は礼儀正しく返事をして、言われた通り、そこに座った。

身体には何一つ身に纏ってはいない。
スレンダーな肢体から長い脚が伸びている。

私はそのまま深く腰掛けるように、命じた。





「脚を開け」

おずおずと長い脚を開く女。剃り上げられた陰部が次第に顕わになってくる。

「足をソファにのせて開くのだよ」

いわゆるM字開脚のポーズをとらせると、はっきりと女の恥部が晒しきった状態となる。

緊縛ではなく、自分で自分の脚を開かせると、女は羞恥のあまり、声を上げながら、顔を私に背けた。

固定するのも良いが、自ら開かせるのは自分の意志があるから、また違った羞恥となる。

その横顔は、恥ずかしさのあまり私を見ていないが、性器は私に向かっている。





「私はナルシストだと思います・。

自分で自分の姿を見るのは好きですし、

実は、綺麗に撮れた自分の写真も、飽きずに眺めてしまいます」


女がそんな事を言っていた事を思い出す。

どこかで、M女性はナルシストだ、
と見聞きすることもあるが・、

どうなのだろうか。

自分の外見に自信があるからこそ、はしたないポーズをとることに悦びを見いだすのだろうか。





さらに命ずる。

「自分の手で性器を両側から開きなさい」

女は躊躇った。また声にならない声をあげる。

「・・・」

観念したかのように、ゆっくりと太ももと脚の間から手を差し込み、少しだけ陰部を開く。

「よくみえないな」

「・・」

淫靡なものが姿を現す。奥まではっきりと見える。


しばらく黙っていると、
女が途切れ途切れに言った。

「はしたない奴隷のお○○○、どうぞご覧下さいませ」

性器から溢れ出てきてくる液体。

女は激しく悦んでいた。






ナルシストなら、自分の外見が好きで、自信があるのは当然だろう。

綺麗な外見を汚されるから、被虐が生まれても良さそうなものである。



しかし本当にそうなのだろうか。

M性とは表面的なナルシズムから生じない。もっと内部から湧き起こる場合が多い。


もしかすると、
女が自信を持っているのはあくまでも外見だけ。
自分の中身に自信が希薄だからこそ、辱めを受け、M性が育まれる・。


被虐は、その自分自身を底から晒し出すことを要求する。
支配に心を奪われてしまうのは、外見ではなく、中身に対する自信と関係している。

M字開脚は、服従しなければ到底できない、行為の一つ。

服従して心を解放するからこそできるのかもしれない。






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