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Sからすると、奴隷の反応は、調教の愉しみの一つ。

恥ずかしい行為を命じ、恥じらっている様子。

罰を与られて必死で耐えている様子。

喜んで奉仕している様子。

叱られて涙ぐんでいる様子。

そういう「奴隷」という身分に没入している様子を観察しつつ、
次はどうしてやろうかと思案します。
思案した結果、さらに厳しく辱めたりする場合もあれば、
優しく抱擁することもあります。

調教はそういう感情のツポを押したり引いたりする行為だと思います。
いかに奴隷の感情を表にだすか・・それに至る道筋を考えるのが、Sかもしれません。

嬉しくて泣いたと思ったら、叱られて泣き、感謝して泣き、
優しさに泣き、痛みに泣き、快感で泣く・・。
泣いてばかりの奴隷もいるのです。

抑制しているものをはずし、心を裸にするがごとく感情を出すことができなければ、
本当の快楽など味わえるべくもありません。

そして感情を出すことを次第に覚えるにつれ、M性も開花していく。


個人的な嗜好を言えば、涙を見せる奴隷には惹かれます。
「泣くな」と命じることですが、それを好んでしまうのです。





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調教を経験した事がないM女性が、想像できない事のひとつに、
自分は主人と接しているときはいつも奴隷扱いなのか・・という事があります。

どの時点から主従関係がはじまるのか分からない、ということです。

例えば、食事に行ったとします。
食事をしている最中は、普通の恋人のような関係でいいのでしょうか。

そしてホテルに入り調教に入った途端、主人と奴隷という関係になるのでしょうか。

確かに、食事中に「はい、ご主人様」などと言っていたら、人によっては笑ってしまうかもしれません。



日常にSMを持ち込むのは滑稽で不可能である、という考え方があります。
M女性の側に、今まで築き上げた生活圏がある場合、特にそれが顕著です。

一方で、日常をも支配されたい、というM女性もいます。
普段からの支配がなければ、とても主人についていくことはできない、と。

どちらの考え方も間違ってはいないと思います。

普通に会話できる瞬間がなくて、なにが主従関係なのか、と感じる人もいれば、
あくまでも支配を優先させ、その中で自分を認めて貰いたい人もいるのです。

ちなみに私の場合、
長く調教した奴隷は、日常の中でも主従関係を崩そうとはしません。


堅苦しいものではなく、自然な主従です。






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スイッチを入れると女の身体に火が付く。

カチンと音がするがの如く、女は奴隷になる。


スイッチを入れるも切るも自由。

奴隷の顔は紅潮し、体温が上がる。

呼吸はだんだんと荒く。

身体が艶めかしく動き出す。

何も言わなくとも奴隷の目が、全てを物語っている。
その表情は様々。


スイッチを入れてどういう行為をするかによって
調教の「結果」が変化する。

その「結果」を私がコントロールできるなら、
もちろん調教はうまくいっていることになる。

そして、それを長く続けられるなら
スイッチのON OFFは、重要ではなくなるかもしれない。

長く調教した奴隷はスイッチが入っていなくても奴隷である。

服従心と性的興奮は分離できるから。
スイッチは服従のきっかけにすぎないかもしれない。








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奴隷に何か命じたとき、それを受け入れることができるかどうか。
それを受け入れられないのなら、何故なのか、突き詰めていく。
それが調教だと感じる。

服を脱げ、
壁に手を突いて、尻を突き出せ、
と命ずるような、単純に性的な行為の時ではなく、
それ以外の命令のとき、それが重要になる。

例えば、に関することなど。

そういうとき奴隷はどうして~を命じられたのか、
一歩立ち止まって考える必要がある。

命令とは強制的に実行されるものではない。
なにがなんでも命令に従わなくてはならない、ということはない。
(もちろんそれを望んでいる方も多いだろうが)

命令を受け入れられないのなら、
はっきりとその理由や、自分の考えを言うべきだ。

その答えから、貴女は主人に信頼を覚えるかもしれないし、
逆に失望するかもしれない。

強制的に何かを受け入れても、心は服従していない。
それでは命令の意味は半減してしまう。

どうしてこういう命令が出されたのか
奴隷自身が考える余地のある命令の出し方を
私もしたいものだ。






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SMを経験したことがない人なら、SMに怖さを感じると思います。
それはどんなことをされるか分からない怖さであり、
自分は奴隷などになれるのか分からない怖さかもしれません。

未知の世界が待っているのですから。

しかし、その怖さの中には沢山の期待感が混じっているのではないでしょうか。
これは甘味な恐怖といえるかもしれませんね。


そして、怖さは、現実に調教が始まると、少し性質を変えます。

例えば、M女性が、主人の目の前で緊張して次の命令を待つ・・。
何を命ぜられるのか分からない怖さと緊張感。
主人の視線に逆らうことが出来ず、身を縮めている状態・。

そんな緊張感みたいなものに変わるかもしれませんね。

そういった感情を前提に、
調教中、M女性の気持ちを解放してやるならば、
一気に、おおきなうねりとなって、それが放出されます。

怖さ、緊張から解放へ至る過程が、深い悦びとなって身体に刻まれるのです。
それは物理的快楽だったり、精神的な喜びだったりします。

ある程度の恐怖心は、調教になくてはならない感情かもしれません。


一方で、
(多くの場合、調教が始まってから実感することですが)
自分自身に対する恐怖を感じることがあります。

心を裸のごとく支配されれば、
自分の心が今後どうなってしまうのか分からない気持ちを味わうかもしれません。

ひょっとしたら自分の予想外の反応に戸惑うかもしれません。

または、どこまで堕ちてしまうのか分からない怖さ・。

そういう怖さを味わったとき、貴女ならどうしますか。

逆に言うと、そういう気持を感じているなら、
深く支配されているのかもしれませんね。










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