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前回からのつづきです。



結愛には調教で、殻(カラ)を壊し、塊(カタマリ)を晒す必要があった。

しかし、結愛に殻(カラ)で自分の心を守る人生を歩んできた。

そうせざるを得なかった。


長年自分を守ってきた殻。

自分を大切に大切に守ってきた殻。


調教で、それを無くされるのは、今までの結愛の生き方を否定するようなものだった。

それは怖ろしいことだったに違いない・。


だから結愛は、

塊を守るため、殻を壊されないよう、わたしの意図しない反応を示した。



M女性に殻(カラ)がある場合、

それには様々な反応の種類がある。
(結愛以外の例は、このブログの過去記事にも記してあります)


だが、何れの場合も、根本にひとつ、共通点があるような気がする。


それは「自分の事しか考えていない傾向がある」ということだ。

「ご主人様の事を一番として考え、お仕えしたいです」と心から思っているのに、

本当の関心事は「自分」にある。


「ご主人様の事を愛しています」と思っていても、

それでもなお、「自分の事しか考えていない」状態に近い。


自分の塊(カタマリ)を殻(カラ)で守る事とは、

視線が自分を向いているからだ。


たとえば、

「〜したらどうしよう」と不安になり、その自分の不安を元に行動する。

自分への自信がないから、失敗することを恐れながら、なるべくそこから逃げて行動する。

〜すると嫌われるかもしれないから、嫌われないように行動する。

それらの行動は、私がどう感じているのか、どういう気持ちなのかを全く考えていない次元のものとなってしまう。

自分の事を考えた結果の行動だ。

そのため、命令が実行される率も低いものとなる。自分をガードしてしまうのだから・。




こういう場合、Sは、どうすればいいのだろうか。

呆れて、奴隷を見捨てる?

優しく愛情をもって接する?

それとも「〜しろ!」と強制的に命令に従わせるのが良いのだろうか?





私が結愛に躾けたのは、次のような内容だった。


人間が生きていく上で、不幸なこと。

自分のためだけに生きることほど、空しいものはない。苦しいものはない。



今の結愛は、殻を使って、他人ではなく自分の事を考えている状態だ。

結愛は、いままでずっと、自分を正してくれる、絶対的な強い存在を求めてきた。

そして主人のために仕えたいと思っている。

言い換えればそれは、他者のために生きるという選択だ。

それを本能的に知っているからこそ、主従を求めたのではないのか。




だから、その調教によって

結愛が、殻を壊される痛みに耐えつつ、

真実の自分に気がつくことになれば、

殻を必要としない生き方のよろこびが分かる。

ちっぽけな小さな塊(カタマリ)を殻(カラ)で必死にガードする事よりも、

主人に従う喜びを体感することになる。

ただし、そこには、奴隷のある種、決意が必要となる。



結愛は結果的に、その決意を実行することができた。

そして躾けた内容について、本質的に理解を示すことができるようになった。


もちろん、かなり苦しんでこれを克服する必要があったし、

また、すぐにはできなかった。


だが理解し体得することで、結愛は「仕える」という幸せを徐々に感じたのだろう。

殻を殆ど捨てて自分の塊(カタマリ)を開放させ、

心を晒し、

今までの人生で味わってきた息苦しさから開放された。


人生において、セックスでイクことがなかった結愛が、それを経験したのは、その頃の話しだ。

心が解放されれば、身体もついてくるのだろうか。

もちろん、逆の場合も多いだろう。

しかし結愛の場合、殻がなくなることで、元々あった、さまざまな変態的欲求が開花することとなる。
















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