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SMにおける「自由」について考えてみたいと思います。



「自由とは・

 他のものから拘束・支配を受けないで、そのもののあるがままにあることを言う」

という定義があります。



ですからSMにおける奴隷とは「自由でない」立場だといえます。



主人に全てを支配され、

全てを差しだしている。

不自由だからこそ得られる悦びを知っているのが奴隷です。


緊縛とは、もっともそれを象徴している行為でしょう。

固く身動き取れない状態に縛られている奴隷は、自由ではありません。

命令もそうです。貴女は、どんなに恥ずかしい行為であっても、頭を垂れ主人の命令に従う。
自由に振る舞うことは許されません。絶対服従こそが貴女の心の中を熱くさせます。

不自由こそが悦びの源泉なのです。



反対にSとは自由な立場だと言えます。
自分の意志をストレートに表現し、エゴイスティックな行為を奴隷に要求します。

奴隷にもっと恥ずかしい想いをさせるには、どうすればよいのか。

奴隷を成長させるにはどうすればよいのか。

常にそういう事を自由に考えています。
己の力の限り先を見据え、無数の選択肢から何かを選択する。

そういう事が苦にならない、自由を愉しめるのがSなのです。


このように主従関係というものは、

基本的に「自由」と「不自由」という構図の元、成立しています。



ここで大切なのは、
「不自由」あるからこそ、主人に仕えるよろこびがあり、

反対に「自由」を求めるならば、
奴隷は自分で自分の首をしめているようなもの・・ということです。

つまり、
Mの自由は、自己否定に繋がる可能性があります。

M女性も人間ですから、稀にそういう気持ちになることがありますが、
はやめに解決すると良いでしょう。



不自由な中でしか存在しない悦び、というのは、

よくよく考えると非常に興味深いことだと感じます。

不自由になればなるほど、悦びが増えるのですから・。







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